保守派が「天皇は祈っているだけでよい」と発言? 毎日の報道を検証する

毎日新聞「<陛下>退位議論に『ショック』 宮内庁幹部『生き方否定』」と題する記事の中で、

天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議で、昨年11月のヒアリングの際に保守系の専門家から「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに、陛下が「ヒアリングで批判をされたことがショックだった」との強い不満を漏らされていたことが明らかになった。

と報じた。このうちの「保守系の専門家から『天皇は祈っているだけでよい』などの意見が出た」ことについて、「陛下に対して無礼である」として保守派がリベラルその他から激しい批判を浴びるという倒錯した滑稽な状況に陥っている。

果たして本当に「保守系の専門家」は「天皇は祈っているだけでよい」と発言したのだろうか。検証するべく、実際に有識者会議の資料を読んでみた。結論から言えば、故・渡部昇一氏がそれに近いことを言ったが、文脈的には決して不敬な発言ではなく、むしろこの切り取り方は印象操作に近いものであった。

ご退位に反対を唱えた保守派の人々の主張の骨子は、「ご公務は大変ありがたいものであるが、しかし天皇の最も重要な務めは"存在すること自体"(と"祈ること")であって、公務は在位の必須条件とは言えない。よって、加齢により公務ができなくなってもご退位の必要はない」というものである。

この主張に対しては異論もあるだろう。しかしこれを「保守系の専門家から『天皇は祈っているだけでよい』などの意見が出た」とまとめるのはあまりにも一面的で公平性を欠いている。この報道からは、退位反対派の多くもまたこれまで陛下が積み上げてこられたご公務に対し深く感謝していることが全く伝わってこない

もう一点気になるのは、退位反対を唱える保守派が天皇に対して冷酷であると毎日新聞を始めとする世間から思われていることだ。確かに今上陛下のご意思は明確であり、それに反対する保守派は一見すると冷酷であるようにも見える。陛下が反対派に対してお怒りであるのも事実であろう。しかし、見方を変えれば保守派は皇室に対して最も寛容な人々であると言うこともできる。

というのも、今上陛下は現代においてはご公務なくして皇室の維持は困難であるとお考えであり、国民の多くも実際に皇室に対してご公務の遂行を望んでいるが、一方で保守派は「天皇は存在するだけで尊い」と考えており、直接国民と触れ合うことがなくとも祈ってくださるだけでありがたいと考えているからだ。つまり、もしも国民全員が保守派の人々のように皇室は存在自体が尊いと考えていれば、公務は在位の必須条件ではなくなり、よって今上陛下が今回のように皇室の存続について危機感を募らせる事態も生じなかったと思われるのである。

従って私は保守派を倫理的な観点から批判することはできないと考える。しかしながら保守派の認識があまりに時代錯誤であり現実を見ていないという批判は可能であろう。現代においては今上陛下のご認識通り、皇室に対して公務の遂行を求める国民が多いからだ。中でも苛烈な者たちは、多くのご公務をなさることのできない状態にある皇太子妃殿下に対して誹謗中傷するという有様である。このような時代においては、後に紹介する「皇室への能力主義の導入」は避けられず、従って陛下の譲位のご意思は皇室の権威維持にとっても合理的なものであると反対派は悟るべきだった。

そして一方の「保守派は不敬だ」「退位を認めないとは陛下がお可哀想だ」などと暢気に言い募る人たちは、皇室に対して最も冷酷なのは誰なのか、自分たちの胸に手を当ててよく考えるべきであろう。陛下ご自身が崇高な使命感のもとに「公務は天皇に必須である」とお考えだからといって、当然のようにそのお言葉に甘え、陛下との意見の一致を以て反対派に対して倫理的に上位に立ったかの如く振る舞うのは恥知らずである。そもそも、陛下への反対意見を排斥して議論を進めるのは立憲君主国として健全ではない。

最後に、長くなるが、「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」における退位反対派・慎重派8人の主張・発言を一人ずつ引用しておく。議論する以前に、「保守派どもは天皇のことを傀儡としか思っていない」等のステレオタイプな物言いが非常に目立つが、まずは実際の彼らの主張とその論理を正確に把握しておくべきであろう。

 

天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議

第三回

平川祐弘

説明資料より
天皇は続くことと祈ることに意味があるので、代々続く天皇には優れた方もそうでない方も出られる。…今の陛下が一生懸命なさったことはまことに有難いが、しかし行動者としての天皇、象徴天皇の能動性を認めることに私はさかしらを感じる。その偏った役割解釈にこだわれば、世襲制天皇能力主義的価値観を持ち込むことになりかねず、皇室制度の維持は将来困難になる。」


「父が仕事ができぬようになろうと孝行な子が親を思う気持に変わりがないよう、外出が不自由になろうと陛下が在位のままゆったりとお暮らしいただき宮中で「とこしへに民やすかれと」とお祈りいただく方が[ご退位されるよりも]有難い。陛下と国民の相互の信頼と敬愛は変わらないと思う。」

 

古川隆久

議事録より

高齢の陛下が一生懸命いろいろ考えて仕事をされてきたということに対しては敬意を表する必要があると思いますけれども、それと今回の公務負担なり退位云々という問題はやはり国のあり方にかかわりかねない問題ですので、一応分けて冷静に考える必要があるだろうと思います。」


「今回の今上陛下の「おことば」ですけれども、重い務め云々というようなおことばもありましたように、普通に解釈すると、現状の非常に重い公務の質、量をやはりできなくなってきたから退きたいというように受け取れると思うのですが、そういう現状の過重な公務の質、量を基準に皇位の継承が行われるということにもしなってしまうと、今回の『おことば』が一種の先例のようになってしまうと、そこには能力主義の要素が入ってきてしまって血筋ということと少し違う要素が入ってくると思います。

 

そうなりますと、以後の天皇のあり方を制約することになりかねず、皇位を継いでいく方にいろいろな意味で負担になりかねないのではないか。そうなってきますと、象徴天皇制を維持していく阻害要因になりかねない。例えば御持病とか障害をお持ちになっているので私はやめなければいけないかと思ってしまうというようなことで、例えば事実上の退位の強制のようなことが起きかねない。あるいはそういう方がたまたま続くという可能性もあるわけで、そうすると退位の連鎖のようなことになる。

 

あるいはそういうことを題材にして、直接、天皇云々ということを批判するのではなくても、何か政争の具にするような人が出てきかねないのではないか。ということを考えますと、天皇の御意見によって皇位継承の条件に能力主義的なことを導入してしまうと、皇位継承の安定性を阻害しかねない。それは結果的にはもし本当に実際それが阻害されるということになってしまうと、国政への権能行使とほとんど同じようなことになってしまって憲法に抵触する可能性が出てきてしまうのではないかということが危惧されるところであります。」

 

大原康男

議事録より
「象徴としての機能というものを私なりに考えますと、一般的には天皇の行為あるいは言葉で示されることから国民が感得する、いわば能動的な象徴機能が考えられる。そのわかりやすい例を挙げれば、戦後の全国御巡幸。それに続くその後のさまざまな機会を通して各地を回られて、国民との交流を図るというのが能動的な象徴機能。一般的にはそういうことで理解されているし、大半の国民はそう思っているでしょう。


もう一つは、受動的な象徴機能です。つまり、これは天皇がいらっしゃる、存在されるというところに発現される機能がある。これはほかにはあまり言われていないことなのですが、その典型的な記憶として私の脳裡に残っているのは、御存じのように、昭和63年秋から64年1月までの111日間にわたった昭和天皇の御闘病という事態に直面して、多くの国民が御快癒を願うために行った記帳は皇居前と地方自治体と全国の神社寺院で行われ、最終的にトータルでどれだけの数に上ったかというのは実はまだ公表されていませんが、私自身が調べたところでは2,000万近くあったのではないか。」


説明資料より
「既に傘寿を超えられている天皇陛下が象徴天皇としてご公務に万全を期したいという思いを強く持たれていることがメッセージから窺われ、深い感銘を受けた


「『平成』という―つの元号の下で時代を陛下とともに歩んできたという国民の一体感が国の安定と調和を保ってきた―すなわち「同じ天皇陛下がいつまでもいらっしゃる」という「ご存在」の継続そのものが国家統合の要となっているのではないか。ご公務をなされることだけが『象徴』を担保するものではないと思量する」

 

第4回

渡部昇一

議事録より
「あの天皇陛下のおことばを承りしたときに私は大変驚きました。また、大変有り難いことだと思いました。象徴天皇としてのお仕事が常に国民の前に見えるように被災者だとか、あるいはペリリュー島までいらっしゃって慰霊のことをなさるということは本当に有り難いことで、特に80歳を超えた方というのは、私も今86歳で、70歳とは全然違うのです。それはもう病人です。その80歳を超えました天皇陛下がいつもその姿を見せて活躍なさることが象徴天皇の仕事として重要だとお考えの御様子には、本当に感激しております。


「しかし、本当は、そうなさる必要はなかったのだということを脇にいる方が申し上げてしかるべきだったと思います。それは、天皇のお仕事というのは、昔から第一のお仕事は国のため、国民のためにお祈りされることであります。これがもう天皇の第一の仕事で、これは歴代第一です。だから、外へ出ようが出まいがそれは一向構わないことであるということを、あまりにも熱心に国民の前で姿を見せようとなさってらっしゃる天皇陛下の有り難い御厚意を、そうまでなさらなくても天皇陛下としての任務を怠ることにはなりませんよと申し上げる方がいらっしゃるべきだったと思います。」


明治天皇の御製にも『民のため心のやすむ時ぞなき身は九重の内にありても』と。だから、宮中にあっても絶えず祈っておりますぞということで、これが私は天皇の本当のお仕事であって、あとはもうお休みになって宮中の中でお祈りくださるだけで十分なのですと説得すべき方がいらっしゃるべきだったと思うのです。」←※毎日の報道はこの部分を切り取ったのであろう。


「○[質問者]結局お話を伺っていますと、陛下に終身在位をお願いするというお考えだと思います。その場合、お年を召されるとともに超高齢化時代において、畏れ多いことですが、かえってそれは陛下の御尊厳を傷つける、損ねることにならないかという心配もあるのです。その点はいかがですか。
[渡辺]そんなことはございません。それは明治天皇のお歌にあるように、それは「民のため心のやすむ時ぞなき身は九重の内にありても」ということは、もう国民のため、国家のため、お祈りさえしてくださればそれは天皇の一番の中心のお仕事であると私は考えていますし、日本の歴史はそれ以外ありません。」←※要するに渡辺氏は日本国民の皇室への敬愛を素朴かつ過度に信頼し切っていたのである。

 

笠原英彦

議事録より
天皇陛下は、即位に際して日本国憲法の遵守を誓われ、戦没者の慰霊や被災地の訪問など憲法がうたう象徴の立場にふさわしい公的行為を通じて象徴天皇像を作り上げられてこられました。そして、強い責任感から、象徴天皇としての務めを果たせる者が天皇の地位にあるべきだとお考えになったようであります。


しかしながら、特例法の制定であろうと、皇室典範の改正であろうと、退位の制度化はすべきではないと私は考えます。天皇と前天皇が共存することで国民の混乱を招きかねず、憲法が定める象徴としての国民統合の機能が低下するおそれがあるからであります。」


「安易な退位の制度化によって天皇の地位が不安定になると、それによって今後取り組まなければならない皇族減少への対応や皇位継承問題というものにマイナスの影響を及ぼす可能性が出てくる懸念があります。…陛下の御公務の負担軽減策を進めていくことによって、陛下あるいは国民の理解も得られるのではないかと思います。」

 

櫻井よしこ

※保守派として葛藤している様が顕著に見られ、興味深いため長めに引用する

説明資料より
「権力から離れた次元で、民の尊敬やあたたかい気持ちの軸となる存在であり続けてきたのが皇室です。天皇は何をなさらずとも、いて下さるだけで有り難い存在であることを強調したいと思います。その余のことを、天皇であるための要件とする必要性も理由も本来ありません。」


「陛下は御自分なりの象徴天皇の在り方を模索なさる中で、常に国民と共にありたいと願われ、日本各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅を大切なこととして実践してこられました。自然災害に苦しむ馳域、戦争の傷跡が残る内外の戦跡、病む人々の収容されていた施設など分け隔てなく訪れて下さいました。これらすべての行幸啓、そこに込められた誠実な御心と国民全般に広く注がれる愛もまた、国民の一人として深く心に刻み感謝しています。


「このような理想的な天皇としての在り方が、ご高齢となって難しくなり、従って譲位なさると仮定して、同様の天皇像を次の世代に期待することは果たして妥当でしょうか。はたまた可能でしょうか。おひとりおひとりの天皇はこれまでも、これからも、自らの思いと使命感で自らの天皇像を創り上げていかれるはずです。そのときに求められる最重要のことは祭祀を大切にして下さるという御心の一点に尽きるのであり、その余の要件ではないという気がしてなりません。」


こう申し上げながら、私の心の中に憂いと申しわけなさが積もります。両陛下の御心の安かれと願いながらも、ご譲位に賛成できないがゆえの思いです。」←※櫻井氏は当初、「本来ご譲位は望ましいことではないが陛下のお考えに従う」との立場であったが、悩んだ末に反対を明確にした

 

議事録より
「○[質問者]どうもありがとうございます。人間らしさというか人道的な側面ですね。もう人間らしくお過ごしいただきたいという思いと今のお話の国家の形としての安定性、この葛藤がやはり私たちにとってつらいところではないかと思うのですが、少し前の御発言を拝読したりしておりますと、条件つきで御退位もあり得るとおっしゃっている時期もあったかと思うのです。今、退位には賛同できないというように、やはりそういうように戻されたというのは、そこにいろいろ思いが深くあるとは思うのですけれども、最も大きな理由、それから、そこで最後少し人間らしくみたいな部分を仮に犠牲にしたとしても、ずっとそのまま終身、いらしていただいたほうがいいと思われたのかどうか、その辺を教えていただけますか。」


「○[櫻井]実はこの場でどのような立場で意見を申し上げたらよいのかということについて悩みました。あくまでも情を大切にした人間的な立場に立つのか、そしてまたおことばが発せられたことに対して、いろいろな動きが出ているわけですけれども、このおことばに対応する形で論ずるのか、それとも日本という国のあるべき形を考えて、言論人としてどこに軸を置くべきなのかということを随分悩んだのです。人間的な側面、国家のあり方、そもそも皇室としてのあるべき形を言うのがよいのかなど、随分悩みました。天皇陛下皇后陛下がどれほどお心を尽くして国民のために行幸啓なさっているかということはみんな国民はわかっているわけですね。あの御高齢で海外の戦跡も訪れてくださる。これほど人道的な御心の深いお方はいらっしゃらないと思います。ですから、国民の側も90%を超える人たちが、おことばに耳を傾け、それを実現して差し上げたいと思っているわけです。


その点を強調するのはある意味容易なことであろうかと思います。お年を召した天皇皇后両陛下への配慮はとても大事でありますけれども、そのことと国家のあり方の問題、これはこの際分けて考えなければならないと思いました。ただ、悩むのは、そうは言いながらも、日本国は無慈悲な国では全くありませんし、日本文明が非常に人間的な優しい穏やかな文明である中で、天皇皇后両陛下のお気持ちをどのようにして受け止め得るかということです。日本国の基盤もしっかりと保ちながら、どうお気持ちに沿っていくことができるのかというところに難しい作業が求められると思います。しかし、日本国の英知、皆様方の英知を結集してくだされば可能だと思います。


その中で、例えば摂政はどうなのかという思いが私の心から離れないのです。摂政という制度が現にあるわけです。陛下はこれを摂政ではだめなのですとおっしゃいましたけれども、何ゆえにだめなのか。どなたかが本当に率直にお聞きになって、その道を切り開いていくことが必要なのではないかと思います。摂政制度を活用することで、祭祀に関しても国事行為に関しても御公務に関しても、御負担はうんと減ると思います。また次の世代の天皇皇后両陛下としてのお心構え、天皇・皇后となられることはどういうことかを、実践なさりながら体得していくことも可能であろうかと思うのです。


国家の基盤は長い歴史の中で形づくられてきました。それだけに軽々に変えてはならないものなのです。とりわけ、皇室の問題については、明治のときに先人たちが非常に心を砕いて考えたわけです。あのとき我が国がどういう荒波の中に投げ込まれていたか。その中で日本国を国として保っていくために、その中心軸としての皇室をどのように打ち立て、お守りしていく制度を作ったらよいかということで、この制度の中に英知を込めたわけです。そこに学び、そして、平成の御代に付け足すものがあれば付け足すにしても、慎重であってほしいと思っています。」


「国民の思いは何か。天皇皇后両陛下がいろいろなお体の不具合をお持ちになりながら、本当に遠くまでお出ましになってくださり、祭祀もなさってくださり、御苦労をおかけしている。その御苦労を何とか減らして差し上げたいというものだろうと思うのです。それが今の段階では御譲位という形で論じられておりますが、たとえそれが摂政という形であったとしても、御負担が軽減されてもっとお心安らかにゆったりとお過ごしになれる環境が整えば、どうしても御譲位でなければならないのだということではないと思います。国民は、私もその一人ですけれども、本当に素朴に何とか御苦労を減らして差し上げたいという気持ちなのではないかというように感じております。」

 

今谷明

説明資料より
「①[天皇は]象徴、すなわち国民の“旗印”と考えられている。また歴史的に天皇は早く(9世紀)統治を離れ、時間・空間の抽象的支配者と考えられてきた。従って権力に正統性を付与する伝統的存在として永く執政家(摂関・院・幕府)によって擁立され、維持されてきた歴史をもつ。憲法上の“象徴”とは如上の経緯を踏まえて理解される必要がある。
② ①により、天皇はその存在自体が重大・貴重なもので、国事行為・公的行為は必ずしも天皇御自身でなされる必要はない。」


議事録より
天皇は祈る存在だから祈っていればいいというような意見もございますが、しかし、お祈りのほうは長い伝統では大した問題ではないのです。天皇は神に近い存在ですから、鳥居の下をくぐらない。したがって、祈祷よりもはるかに時間、空間の抽象的支配者であって、国民を格付けする総本山であって、要するに抽象的支配者であるということの存在自体が重要なのでありますから、お忙しい業務は皇太子や弟宮ら皇族に代行をお願いしても一向差し支えはないというように考えております。」←※反対派としては異例の見解である


「被災地訪問のことが話題になりますが、少々現在の今上陛下は間口を広げられ過ぎた嫌いがあると思います。日本は災害列島で、幾らでも災害は限りなく起こっているのに、被災地全てを慰問するというのは不可能でございます。天皇が幾人あっても足らない、間に合わない。したがいまして、昭和天皇のように、昭和天皇も慰問は不公平になるというお考えから慰問はあまりされなかったと聞いておりますが、慰問は極力おやめになり、おことばだけで十分である。ですから、こういう被災地慰問などはこれから思い切って減らすべきであると考えております。」←※これも、評価の言葉が省かれているという点で、反対派としてはかなり乾いた認識であり、異例である


「先月、私がこの学識経験者の委員になったということを聞き付けたのか、マスコミが殺到してきておりまして、とぼけて本当のことを言わないようにしているのですが、名刺を見るとみんな政治部の記者が出てきているのです。本来は宮内庁担当のそういう特殊な記者が来るべきところが、どんどんNHK朝日新聞もそういうところは皆政治部の記者が私のようなところまで押しかけてきて、なぜだと聞いたらこれは政治問題ですからと言って、現在、記者、マスコミはこれを政治問題として捉えているということは間違いないと思います。」

第5回

八木秀次

説明資料より
・自由意思による退位容認は、次代の即位拒否と即位後短期間での退位を容認することになり、皇位の安定性を一気に揺るがし、皇室制度の存立を危うくする
・伝統的には宮中祭祀こそが天皇の主たる務めであり、他の務めに優先されると考えられている〔「およそ禁中の作法は、神事を先にし他事を後にす」(第84 代・順徳天皇著『禁秘抄』)〕
⦿天皇は我が国の国家元首であり、祭り主としてとして「存在」することに最大の意義がある
⦿能力原理を排除し、男系継承という血統原理に基づいているがゆえにその地位をめぐる争いがない
⦿「公務ができてこそ天皇である」という理解は、「存在」よりも「機能」を重視したもので、天皇の能力評価につながり皇位の安定性を脅かす
・公的行為を全身全霊でできなければ天皇たり得ないという自己規定や「職業倫理」は尊くありがたく、「男の美学」としても美しい。また、被災地へのご訪問や戦没者の慰霊は国民の心を慰める大きな意義のあるものと考えられる。
⦿しかし、現状のままの公的行為をすべて全身全霊でできてこそ天皇であるとする今上天皇のご認識は立派でありがたいが、同じことを国民が期待すれば、次代の天皇に対する過剰な期待を招き、能力評価を行い、苦しめることになる
⦿この件は優れて国家の制度の問題であり、当事者である天皇や皇族のご意向に左右される性質のものではない(憲法4 条1 項)。皇位継承原理の変更、女性宮家の創設も同様
⦿我が国の伝統的な統治形態は「君民共治」であり、天皇個人の意向によって政治が左右されるものではない(北畠親房著『神皇正統記』、慈円著『愚管抄』参照)
⦿「承詔必謹」という場合の「詔」とは、正当な手続きを経てオーソライズされた国家意思のことであり、天皇個人の「思い」ではない

議事録より
「…このことを国民世論がまた支持をしております。しかし、その支持をしているということは、次の天皇に対しても同じことを期待するということになるかと思います。そうなると、そこに能力評価ということが発生してまいります。私は、そのことを大変懸念しております。国民の心が今上天皇とその次の天皇を比較することによって、次の天皇から離れはしないのか。ですから、私は、天皇というのは国家の制度だという捉え方がここでは必要なのではないかということで強調をいたしました。」